久留米の観光名所、JR久留米駅前の「からくり太鼓時計」、久留米絣
JR久留米駅前広場、目の前には大きくそびえたつ34階建てのタワーマンション。
九州初の免震構造を採用した高層階マンションです。
そのライオンズマンションウェリスタワーとJR久留米駅、その間のロータリーに何やら太鼓のようなもの..。
これは東洋のエジソンと呼ばれた「からくり儀右衛門」こと、日本初の民間機械工場、芝浦製作所(東芝の前身)の創業者である田中久重公が発明したものです。
その田中久重氏がつくった最高傑作のひとつ、4本の矢を次々に的に当てる、その名も´からくり太鼓時計´、これをJR久留米駅前の正面口に行けば2時間に1回、まるで劇場にいるような雰囲気で見ることができます!
定時になると、久留米出身の松田聖子の「赤いスイートピー」の音楽が流れだしながら、時計盤が回転してまずは久重公の人形が表れ、ナレーションがいきなり、「や~!」から始まります。
考案した作品が次から次に身振り手振りで説明していきます。
人形が矢立てから矢を取り、弓につがえ、的を射るという高度な動作を繰り返す、からくり人形が印象的です。
初めて見た人は「なんだなんだ」という感じでしょうが、見慣れた私は最近あまり見ません。(笑)
久留米絣の創始者・井上伝と、田中久重との関係
久留米の伝統品と言われる久留米絣、その創始者・井上伝は江戸後期に生まれ、前述した田中久重と共に同じ時代に生まれ育ちました。
父は米屋を営んでいましたが、決して豊かではなかったようで、子供のころから、木綿織りの稽古を始め、小さい頃から縫い物が好きだったようで、師匠について本格的に織物や裁縫の勉強も始めたようです。
井上伝は大人も及ばないくらいに木綿織りが上達し、ある日、着古した藍染めに白い斑紋を見つけ、後の久留米絣の元になる技法をひらめきました。
伝は「加寿利」と名付けて販売し、城下でたちまち評判となったのが久留米絣です。15歳のころには、二十数人の弟子が集まったとも言われています。
伝は絵模様の絣を織り出すことに苦心しており、後に東洋のエジソンと言われた「からくり儀右衛門」こと田中久重の協力を得て、15歳の久重は絣の板締め技法というものを考案し、それによって伝は絵模様も織り出すことに成功しました。
久留米が絣の産地として確立た要因は当然ながら井上伝が始まりであり、それは200年以上前「井上伝」という一人の少女のステキな物語によって始まり、「からくり儀右衛門」こと田中久重の織機改良などの協力をはじめ、たくさんの人々の長年の努力と愛の賜物です。
久留米絣の魅力といえば
・肌触りが優しく
・着心地が良い
・軽い
・風合いが良い
・一度着たら手離せない
・夏は涼しく、冬は温かい
・流行がなく、丈夫で、長く楽しめる
・絣の反物を見ているだけで心癒される。などなど・・・
絣の洋服は、夏は一枚で涼しく、秋は下着で調整して、冬はハイネックのインナーを下に着て、あったかく、一年中、自分流オシャレが楽しめます。
最近は絣の織元さんやデザイナーさん・メーカーさんたちの日々の努力で、ステキな洋服や反物がいっぱいです。
お客様のニーズに合わせ、久留米絣の反物の色や柄も豊富になり、バッグや帽子などの小物やインテリアなども、おしゃれな作品がたくさんあります。