六ツ門にある老舗居酒屋「古賀久」、私の昔のバイト先です,楽しかった!
久留米市の一番街から西方面(JR久留米方面)へ向け、アーケード街から抜けた場所に老舗の居酒屋、「古賀久」があります。
創業は大正8年です!
大正時代創業の大衆酒場として有名な店で、陳列棚に並べられたおかずから自分の好きなものを取り出し、最後に食べた分だけ、皿の種類でお会計するという、当時からすればとても斬新なスタイルで注目された店です。
陳列棚はこんな感じです。
私は当ブログではよくある「自己満足系」は極力書かないようにしているのですが、今回はおススメの居酒屋という事でも合致しましたので、私自身の事をたまには書かせてくださいね。
私が高校3年生のときでしたので、17か18歳のとき、古賀久でアルバイトをした経験があります。なので、30年も昔の話になります。青春時代の思い出が詰まったとても懐かしい場所です。
今とはがらりと店の雰囲気が変わり、時代の変化というのか、昔はそうですね、今みたいにそんなにたくさんの居酒屋がなかったのかもしれません。
友達も居酒屋でバイトと言えば、松竹か古賀久かと話し合っていたくらいですから。
そして、今となっては時効なので申し上げますが、そのときの高校生は普通に飲んでいましたから!!
私も普通に飲まされていて、それが「法律違反」という事は教えられず(いやいや自分が勉強しなかっただけだけ)、ただ普通にバイト終わって先輩から連れて行かれて飲まされていました。
タバコはもちろんいけない事だと分かっていましたけど、お酒はなぜかその意識が薄かったですね。
私自身がそんなに飲めない体質だったからなのかもしれません。もちろん、今でもあまり飲めませんが。
話を戻すと、高校3年生だった私はホール係を任され、「40番さん」と呼ばれていました。その頃の当店では番号が1人1人に与えられていて、ホールのおばちゃんたちはそれぞれが番号で呼び合っていました。今ではとても考えられないのですが。
今それをやったら問題なのかもしれませんね。当時は何の違和感もなく、それこそ普通に呼び合っていました。
主に生ビールの注入と、おでんを注ぐ係だった私は遠くから大きな声で「生3杯!」の注文が入ると、「は~い!、生3杯」と承諾の合図をして、棚にあるジョッキ3本を右手に持ち、左手でビールタンクのコックを倒し、注入口部分をジョッキの内側部分にあて、泡をたてないようにしながらビールを注ぎ、その状態で3分の1程度まで入ったら今度はジョッキを立てながら、ジョッキを注入口から少しずつ離しながら泡を注ぎます。
この作業に慣れるまでは本当に難しく、なかなか成功しなかったのですが、これも直ぐに慣れ、どんどん腕を磨いていった私でした。
その当時、取得したばかりの原付自転車を乗り回し、「ホンダ ゴリラ」という当時バイクマニアが好きなバイクに乗っていて、それでバイト先まで行っていました。
ある日、店の前に止めていて、ちゃんとロックをかけてチェーンまで付けていたのですが、当時は治安も悪く、チェーンをぶった切られて盗難被害にあった記憶があります。悲しかったですね。
お食事後のお会計スタイルも当時と変わっていないようですが、30年もの長い年月が経ち、その間、久留米という街は経済発展が目覚ましく、たくさんの店が乱立していて、いつの間にか食の街と化しております。
その中でもラーメン、焼き鳥、もつ鍋は全国から注目を浴び、久留米を代表する食文化として進化し続けており、今後もB級グルメの街といえば久留米と言われるような街に発展していくことでしょう。
ちゃんと食事もしましたよ。
日替わりランチ定食でしたが、味は...。
昼から飲める居酒屋です。時間がある方はどうぞ。