努力と成果の比例関係について、不動産の仕事も他の仕事も同じです。

その他

昨日は何かとバタバタ忙しく、ブログを書くのも結構大変なので「たまにはいっか~」と思い休みました。月に2、3度の休みはご勘弁願います。

今日は不動産とは直接関係ない少し違った観点で書いてみたいと思います。

努力と成果の比例関係について

不動産の仕事も何でも同じです。

努力すれば成果が表れると思っていますが、そうですよね。実際には無駄な努力はないと思います。

努力しているんだけど成果につながらないということはよくあることです。

正しい努力を正しくしている人はたくさんいます。でも成果につながらない、なぜか?なぜなんでしょう?

方程式があるようです。=努力すれば必ず成果。単純な方程式を前提にしている、それって本当ですか?

努力は必ずしも成果につながらないってことなのか?努力と成果は比例しないときがあります。

特に求める成果が高ければ高いほど努力との相関はなくなるんじゃないか?

つまり1の努力をしたら1の成果につながるというのは我々の期待値なんですが、1の努力しても成果は0、2になるときもあります、やっても成果は0みたいな。

ある意味無駄な努力みたいな時間というのがやっぱり長く続くものなんです。ただ、私が言いたいのは「努力は不要です」ということではありません!

努力は成果を得るためのある意味入場チケットのようなもの

つまり、努力だけで片付くものではないんですけど、努力がなければ土俵にも立てない。

まず土俵に立つためにも努力というのはしなければならない。やっぱり大事なことです。それは大前提になってきます。だからみんな努力していますね。

努力しない人はその土俵にも上れないのですが、努力して本当にそれをやったところ、本当にそれで人が動いてくれるか?とか営業の数字につながるのか?受注ができるか?というのは全然次元の違う話になります。

努力をしている事実によってそういう思考になってしまう事が少なからずあります。

すごく頑張っている、「自分なりに努力しているんだから成果は出るはずだ!入場券もらったよ!よかったよ、それをどうするか!こっからどうするのか?」そういうメッセージです。

試合会場には誰でも入れる

努力したら誰でも入れますが、みんなその入場券を手に入れた人たちが努力した人です。みんな入れます。しかし問題はその先ですよね。

もうひとつ面白い側面として、努力が必要な理由というのは入場券を得るためという目的はあり、努力というのは本来想定しなかった別の成果を連れてくる可能性があります。

分かりやすい例で行くと甲子園目指してずっと野球を努力してきました。

でも野球では全然成果が出ませんでした。ただ、そこで培った忍耐力みたいなもの、社会に出て役に立つことってベタな例ですがいくらでも思いつくケースですよね。

誰でも経験があると思います。だから甲子園という成果は得られなかったけど形を変えた成果を連れてきてくれます。

それはじゃあどんな成果を連れてくるかどうかは分かんないんです。

結果は違うものを連れてくる

分かんないし理屈はないし、はっきりいって運とか縁とかの問題であったりします。だからこそ、我々はそういう努力の力を信じて事に励む必要があります。

短期的な成果につながるかどうかはわからない、ただ、中長期的に見たら別のものを連れてきてくれる、そういう可能性があります。

だから努力をすれば成果につながる、安易な努力進歩だと思うんですが、短期的な話ではなくてこの努力が必ずいつかプラスにつながるということを信じて目の前にあることに取り組んでいくしかないと思います。

努力しなくていいということではありません。この辺りのメッセージのさじ加減というのは難しいのですが、何か光を見出したいという思いで私は頑張っています。

短期間では難しいかも…。

やっていることは絶対無駄にはなりません。短期的につながるかどうかというのは別問題です。

求める成果や目標が高ければ高いほど簡単ではないということですね。努力してすぐ結果につながるわけではない、それが比例しないということの意味なんですね。

努力と成果は比例しない、1やったら1返ってくるという安易な期待値は捨て去ったほうがいいと思います。

ただ努力すれば入場チケットが得られる可能性はあります。その先、中長期的に見たら別の何か新しい成果を連れてくる可能性が広がります。

不動産の仕事、その可能性を信じて一つ一つをきちんと取り組んでいかなければいけないと思っています。

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